コポコポコポ。
早朝の事務所で、電気ポットのボタンを押す。南国宮崎では梅雨が明け夏が始まろうとしているが、早朝はまだ幾分涼しい。10月に入学する新入生のビザ関連書類の入管提出も無事おわり、ようやく一息をつける時期だ。事務、日本語教員、専門課程教員、営業・生活指導、と4つの島に区切られた部屋の隅にある自分の席に座り、誰もいない事務所を見渡す。事務所のスタッフの経歴は様々だ。外国人、海外から引き揚げてきた人、これから海外へ旅立つつもりの人、これまで外国と関わりのなかった人。日本語教師一筋の人、全く違う仕事をしていた人、プータローだった人、主婦だった人。1日の3分の1を外国人留学生と過ごす日々を送っているせいなのか、職員たちは一般的な日本人と比べて独特の感性を備えている。ありていに言えば、変な人たちが多い。
湯気をたてたマグカップを口元に寄せ、静かな朝の贅沢なひとときを過ごす。今日も穏やかな1日でありますように。
「ジリリリリリ!!」
早速電話が鳴る。バングラデシュから来たアリフさんが受話器の向こうで嘆いている。どうやらアパートのエレベーターの隙間に部屋の鍵を落としてしまって部屋に入れないようだ。私は分かりません他の先生が誰も来ていませんから、と、こちらも嘆き返し、もう少しアパートの前で待っておくように伝える。
事務所の出入り口の向こう側にあるエレベーターが上がっていくのが見える。無口なフィリピン人男性、アントニオさんだろう。自転車で40分、電車で40分かけて毎日誰よりも早く登校し、誰もいない教室で一人腕立てをするに違いない。勉強もよく頑張るのだが、成績も筋肉も一向に成長の気配がないのが不思議である。エレベーターは7階で止まった後、再び1階へと下り、また上へ向かって動き出す。
「フフィ~ん、ふぉふぉ~ん!!」
ビピンさんに違いない。密閉されたエレベーターの中からであっても事務所の中まで大きな音で聞こえてくるという、不可思議な周波数で鼻歌を鳴らす。南インドに伝わる秘技だ。
職員が続々と出勤してくる。みんな朝からご機嫌だ。ミャンマー人職員のカインさんが、緑色のジョウロを抱え真剣な顔つきでウロウロしている。植物が大好きだと言うので、それなら校内の花壇の管理を任せるから自由にしてもいいよ、と言ったら、全ての花壇が家庭菜園と変化した。次はヘチマを植えようとしているようで、私が思い描いていたものと大きく異なってきたが、好きにやらせてみることにする。
職員朝礼で各自の1日の動きを確認した後、午前の部を担当する教員たちが各自教室へ散らばっていき、生活指導の職員は駐輪場に行って学生を出迎える。
「おはようございます!ゴミ袋ください!!」
事務所のカウンターに留学生たちが集まってくる。朝から笑顔でフルパワーだ。私たちの学校では事務所で掃除道具を無料で配布している。学生たちの部屋が綺麗に保たれることや、学生が頻繁に事務所に顔を出すことで担当教員以外も学生の様子を確認できることが狙いだ。今日は2カ月に1回行う部屋チェックの日。学生には事前に通知し、9つのチェック項目も伝えてある。評価が低かった部屋は再チェックとなり、高かった部屋にはお米が配られるという仕組みになっている。部屋チェック制度が浸透したおかげで、部屋の問題はかなり改善された。
事務職員が電話で保険屋さんと話し込んでいる。週末に、キルギス人学生のアイダナさんがスマホをいじりながら自転車を運転しそのまま駐車してあった車にぶつかった、とのことだ。本人は無傷、車はベッコリと凹んでいたらしい。ハルフォード・マッキンダーという学者が、ユーラシア大陸の両端にある西ヨーロッパと日本が他の地域に先駆けて発展した理由に、大陸を縦横無尽に駆け巡った獰猛な騎馬民族の存在をあげていたことを思い出す。
応接室から声がするので覗いてみると、就職を控えた専門課程のネパール人男性ラジェンドラさんが、オンラインで会社の面接を受けている。スーツを着てネクタイを締め、パソコンに向かって上半身をあり得ないほど前後に大きく揺らしながら自己紹介をしている。ハルフォード・マッキンダーは、ネパール農村部出身の20%が緊張すると上半身を前後に揺らすことについて、何も言説を残していない。そんなこんなで、気づいたらもうお昼だ。
「モヒンガー食べる人―!」
ミャンマー人女性のピョーさんがミャンマー料理を作って事務所に持ってきてくれた。彼女はモヒンガーがミャンマーでとても人気がある食べ物であることを力説していたが、私はずっとモモンガという小型哺乳類のことを思い浮かべていた。
「今回だけは信じることにしました!」
事務所では先生たちが学生の様子を話題にしながら昼食を取っている。入学したてのナイジェリア人男性のチデラさんが、左の手のひらに漢字をいくつか書いた状態で小テストを受けていたようだ。テスト前に練習したものが残っていたと意味不明な言い訳をしていた、と森本先生がボヤいていた。私はチデラさんの後見人である宮崎在住のナイジェリア人にすぐ連絡をとり、今回だけは彼の言い分を信じるが2度目はない旨を厳しく伝えると、先生それは練習です!、と言われて目が回りそうになった。とはいえ、以前、カンニングペーパーを持っていたネパール人女性のアスミタさんが、発覚後にカンニングペーパーを口に入れて飲み込み、証拠を隠滅したことに比べれば大したことはないか、と思う。
「今日は発表会なのでお時間がある先生は見に来てください!」
担当の鳴﨑先生が叫ぶ。行かなかったら後で何言われるか分からないので行くことにする。テーマは私の国の観光地。発表会はいつも楽しい。入国直後はほとんどコミュニケーションが取れなかった学生たちがグングン成長していく姿が見られるのが、この仕事の醍醐味だ。かつて、同じテーマの宿題を出したところ、ミャンマー人女性がネパールの観光地を紹介したものを提出してきたことがある。すぐに丸写ししているのが判明し、説教部屋行きとなった。彼女も今では優等生、人は成長する。
「屋根の上はさすがに届かないっすよ!」
部屋チェックを終えた生活指導の職員たちがボヤキながら戻ってきた。風に飛ばされた洗濯物が向かいの家の瓦に貼りついており、いつ苦情がくるか怯えている様子だ。他にもベランダに這わせてあるLANケーブルを洗濯ひもと勘違いして使用している部屋、レンジが本棚になっている部屋、今回も奇特な部屋が色々あったようだ。
気づいたときには午後の授業も終わり夕方になっていた。先生たちが夏休みの旅行計画で盛り上がっている。職員で有志を募って毎月積立をし、数年に一回海外旅行をしているのだ。無計画な人生を歩んできた人たちが、このときばかりは緻密な計画を立てる。前回の旅行ではネパール人職員のディパクさん引率でネパール旅行に行ったが、到着直後にディパクさんがパスポートと全財産が入ったリュックをタクシーに置き忘れるという事件があった。深く反省したディパクさんは、その後のネパール出張の際に、到着直後にパスポートと全財産が入ったリュックを空港に置いたままでタクシーに乗った。成長しない人もいる。
終礼で全ての職員が一日の報告をし、それぞれの状況を共有すると定時になった。本校は夜間に日本語教員養成講座を開講しているので、担当の先生が準備に取りかかる。私は机の上の整理をしてマグカップを洗い、仕事を終える。あ~、今日も一日楽しかった。
(文:学校法人宮崎総合学院 国際事業推進本部 本部長 山中 鉄斎)



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