第12回 九州英数学舘 「120年の学びの道 ―明治の留学生から現代へ―」


 今、日本の日本語学校には、多くのネパール人留学生が学んでいる。私が勤務する九州英数学舘にも、ネパールから来た若者たちが机を並べ、未来に向けて一歩一歩努力している。彼らの多くは「日本に行けば働きながら学べる」「日本語を身につければ将来が開ける」といった現実的な理由で来日している。しかし、その背景にあるのは、単なる経済的な動機だけではない。彼らが日本を目指すという行為そのものが、じつは120年以上にわたる日本・ネパール両国の留学生交流の歴史の上に築かれたものなのだ。

 

明治のネパール人留学生たち

 今からおよそ120年前、1902年(明治35年)の春、8人のネパール人青年が、日本へ向けて旅立った。彼らはチャンドラ・シャムシェル・ラナ首相の命を受け、デブ・シャムシェルの「近代化構想」を継いで派遣されたネパール最初の留学生である。目的は兵器製造、機械工学、鉱山学、農業、応用化学、製陶術といった技術の習得だった。

 当時、ネパールは鎖国的な封建体制のもとにあり、西欧列強との直接的な交流は制限されていた。そのような時代にあって、アジアの国・日本を学びの地に選んだことは画期的だった。インドを支配していたイギリスではなく、同じアジアで近代化を遂げた日本に目を向けたのは、宗教的・文化的共感、そして自主独立への強い意志の表れでもあった。

 留学生たちはインド、シンガポール、香港を経て、46日間の長い航海の末に横浜港へ到着した。彼らは日本語を学びながら、東京帝国大学、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)、農科大学(現在の東京大学農学部)などで学び、日本の学生と机を並べた。明治の日本においても外国人留学生はまだ珍しい存在であり、彼らは言葉も文化も異なる環境の中で懸命に学び、日本社会に溶け込もうと努力した。

  日記によると、講義は朝八時から夕方四時まで、教授が日本語で書き取らせる厳しい授業であった。上級課程ではフランス語やドイツ語が使われることもあり、彼らは通訳を雇う許可を願い出ている。日本人学生がノートを翻訳して助けてくれたという記録も残る。そこには、国や言葉を超えた若者同士の友情があった。

 3年間の留学を終え、彼らは1905年に帰国した。帰国後は兵器工場や鉱山、灌漑事業、造幣局などに配属され、それぞれの分野で祖国の近代化に尽くした。日本から持ち帰った柿や藤、菊、栗の種をラナ家の屋敷に植えたという逸話も残る。つまり、日本からの学びは技術だけでなく文化や美意識にも及んでいたのである。

 しかし、自由な思想を恐れた当時の封建的政府のもとで、彼らの努力は十分に活かされなかった。ある留学生は進歩的な意見を述べたために地方へ追放され、静かに生涯を終えた。それでも彼らの挑戦は、後世のネパール人に大きな影響を与えた。1930年代、ジュッダ・シャムシェル首相が再び日本への留学生派遣を計画したことも、その象徴である。

 

120年後のいま、日本語学校で学ぶ若者たち

 そして今、時代は再びめぐり、ネパールから多くの若者が日本にやって来ている。福岡・九州にも数多くのネパール人留学生が暮らし、日本語を学びながら働き、将来を模索している。

 彼らの生活は決して楽ではない。学費、生活費、アルバイトとの両立――それぞれが日々の現実と格闘している。だが、その姿を見つめていると、明治時代の留学生たちが日本語を学び、異国の地で懸命に知識を吸収しようとした姿と重なって見える。

 120年前の青年たちの情熱が、形を変えて現代に続いているのだと思う。

 かつての留学生たちは、日本から帰国して祖国の近代化に貢献しようとした。現代の留学生たちは、グローバルな社会の中で、日本とネパールの架け橋となる力を育てている。目的や時代は異なっても、そこに流れているのは「学びを通じて未来を築こうとする心」だ。

 

教育の現場から見えるもの

 九州英数学舘では、日々の授業を通して、学生たちの変化を間近に見ることができる。来日当初は日本語がわからず、不安そうにしていた学生が、半年、一年と経つうちに自信をつけ、友人と助け合い、次の進学先を目指していく。その成長の過程に立ち会うたびに、教育の力を感じずにはいられない。

 ときどき、学生たちに「なぜ日本を選んだの?」と聞く。すると、多くがこう答える。

 「日本は安全で、まじめに努力すればチャンスがある国だから」

 「昔から日本の技術や文化が好きだった」

 彼らの言葉には、明治のネパール人留学生たちと同じ思いが宿っているように思える。

 だからこそ、私は多くの人に伝えたい。ネパールからの留学生たちは、突然やってきたわけではない。彼らは、明治時代の青年たちが開いた「学びの道」を、いま再び歩んでいるのだ。

 

学びの歴史を未来へ

 120年前、ネパールの若者たちは日本で学び、その経験を祖国へ持ち帰った。彼らがまいた「学びの種」は、今、福岡や東京、大阪、名古屋など全国の日本語学校で芽吹いている。

 日本語を学ぶということは、単に言葉を覚えることではない。文化を理解し、人と人とを結ぶ心を育てることでもある。明治の留学生がそうであったように、現代の留学生たちもまた、自らの学びを通して未来をつくっていく存在だ。

 留学生を支える教育機関として、私たち日本語学校の使命は、その努力と希望を見守り、応援し続けることだと思う。

120年の歳月を経ても、「日本で学びたい」という願いがネパールの若者の心に生きている。それこそが、留学生教育の本質であり、最大の成果なのではないだろうか。

 

 

(文:九州英数学舘 顧問 小野田亮)

問題を解く手
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黒板に書く手
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下校途中にかばんを持つ手
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